1990年10月3日、東西ドイツは統一され、晴れてひとつの国として再出発しました。
ベルリンの壁の崩壊から1年も経たないうちに統一を果たしたドイツですが、この出来事はまだ歴史の1ページにはならず、現在においても大きな影響を与えています。
今回はこの現在にも尾を引いているドイツの統一事情について、少し解説していきます。
ドイツのその他の祝日についてはこちらの記事にまとめています↓
ベルリンの壁崩壊
1986年から始まったソ連のペレストロイカ、87年のポーランドでの「連帯」を交えた円卓会議、89年のハンガリーでの急速な民主化とオーストリアとの国境開放と、東ヨーロッパにおいて脱共産主義化の動きは強大なうねりとなっていました。
旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)もこの時代のうねりに対抗することはできず、国民の民主化要求に徐々に応えていくこととなります。
当時の西ベルリンを囲い、東ドイツ国民の西側への脱出を防いできた「ベルリンの壁」。
この象徴的な意味は大きく、チャーチルの発言した、当時の西と東を分けていた「鉄のカーテン」をリアルにあらわしたものでした。
壁といっても1枚ではなく、2枚で構成されていました。
その間には国境警備隊の警備空間が存在し、無断で通り抜けようとするものは撃ち殺されてしまう。
そんな緊張する前線が当時のベルリンにはありました。
しかし、上述の民主化のうねり「東欧革命」の影響で壁の存在意義は低下。
危険を承知でこの壁を通過せずとも、他の国経由で西側に脱出することは可能となったのです。しかし、旧東ドイツ政府は国家も壁も、両方の維持を狙っていました。
ところが、11月9日の旅券発給自由化の報道向け発表の際の「私の認識では、直ちに遅滞なく、だ。」 (ドイツ語Das tritt nach meiner Kenntnis – ist das sofort, unverzüglich. )という報道官発表が東西ドイツ全域に流れ、多くの東ベルリン市民が検問所に殺到。
そしてなし崩し的に現場の判断でベルリン市内の国境が開放され、そして他の東西を分けていた国境も順に開放されていきました。
1日にしてベルリンの壁は崩壊したのです。
この後、旧東ドイツはもはや国家として成り立たなくなってしまいます。
旧西ドイツとドイツ占領担当の4大国(米英仏ソ)との協議により、旧西ドイツが旧東ドイツを「吸収」するという形で「統一」を実現します。
統一直後のドイツ
直後はお祭りムード一色だったようです。
ただし、一方で旧東西間の経済格差は深刻で、多くの東の国営企業は倒産していき、西側資本が急速に東側に浸透していきました。
この急速な体制変換は旧東ドイツ国民に戸惑いをもたらし、「昔はよかった」というオスタルジーという感覚を芽生えさせていくこととなります。
また、西側にしても、統一に際し、旧東ドイツマルクを西ドイツマルクと1対1で交換可にしたことや統一後の経済統合に関し綿密な分析をせず、勢いに任せて統一に動いた背景があります。
このことは、この後の財政運営に多大な影響を与えました。
その後のドイツ
再統一を果たしたドイツは、その経済規模から、ヨーロッパ内での影響力を次第に大きなものにしていきます。
しかし、戦前戦中のような覇権をもくろむものと近隣諸国に思われたくはない。
ドイツはEU(ヨーロッパ連合)の拡大深化に力を注ぐことになります。
結果、加盟国は28カ国に、総人口は5億人を超える規模にまで成長しました。
EUは現在、もはや国家連合の枠を超越して、各国の財政運営、法令制定、通貨にまでコミットする存在となっています。
この流れに、少なからず反発勢力はあったのですが(ギリシャ危機などもありましたが)、基本的には右肩上がりの経済の中で、EUの成功はドイツ人に国家としての自信を取り戻させることとなります。
2015年以降のドイツ
この状況ががらっと変わってしまうのが2015年。
メルケル首相のシリア難民受け入れ発言でした。
この発言以降、突如としてドイツはシリア難民の移住目的地となり、自治体は急ピッチで受け入れ態勢を築く必要に迫られました。
事前の調整はほとんどなく、首相発言の後、現場判断で目の前に迫った移民の集団に対処したのです。
当然混乱は起きました。悲惨だったのは都市部ではなく郊外・農村部です。
倒産直後でテナントのなかったショッピングモール、大型倉庫などが難民収容に当てられました。
そこにその自治体の人口を超える難民の集団が1夜にして殺到することもあったのです。
東側のライプツィヒなどでくすぶっていた反移民感情・反イスラム感情は、連邦政府への不信感とともに全国規模に膨れ上がりました。
その結果として、反移民の右より政党AfD(ドイツのための選択肢)の設立・躍進につながっていきます。
2019年の統一記念演説を聴いて
統一記念日は祝日で、毎年記念式典が行われます。
今年はシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州の州都キールで行われました。
メルケル首相も演説に立ちましたが、現状認識には難しい政権運営の実情が垣間見えました。
トランプ米政権の登場以降、世界的に自国中心主義の動きが加速しています。
一方で経済はすでにグローバル化されていて、自国中心主義に戻ることは逆回りを意味するのです。
われわれのメンタリティをまた「連帯」や「国際協調」の方向に向けていくこと。
これは戦後ドイツの国是でもあり、今後も追及されていくであろう課題だと考えます。
まとめ
ベルリンの壁崩壊から現在までの流れについて書いてみましたが、いかがでしたか?
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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